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雨の日も、風の日も、
大仏はそこで待っている。

「 上野大仏 」訪問    東京都  台東区

※リニューアル更新※


上野と言えば、美術館や博物館が立ち並ぶ上野公園

そこは、さながら「巨像」の楽園だ

休日ともなれば、家族連れやカップルでにぎわう上野公園に・・・


こんな、看板が立っているのを御存知だろうか?

寛永寺
【 上野大仏 】


すでに、その存在を御存知の方も多いと思うが・・・



この上野大仏こそ


得意稀な特徴を持つ大仏なのだ


さっそく、大仏が有る丘に登ってみよう



大仏はすぐに、見えてきた!

正面では無く、脇の方・・・


彼こそが、泣く子も黙る


顔だけのレリーフ型大仏


出会ったその場で、いきなり
「カウンター・パンチ」炸裂

見よ!この説得力


他に例を見ない建立スタイル

もちろん最初から、こんな建立方法のはずがない


では、なぜこんな形の建立かと言うと・・・



それには
長く厳しい歴史の定めが有るのだが

その辺を、極力簡単に解説しよう




1631年に
初代・上野大仏が建立された


初代上野大仏は、2,80mの粘土を漆喰で固めた仏像
1647年の「武蔵・相模地震(M6,5)」によって
倒壊


その後1660年に二代目となる3,60mの
青銅製の大仏建立
1698年には大仏殿完成。二代目大仏の
安泰期がやってきた


しかし、1841年に大仏殿もろとも
火災で全焼・・・


2年後の1843年に大仏の修理完了、大仏殿も復活。

安泰の時期が来るかと思ったが


1855年の
安政江戸地震で、頭部が落下し倒壊


大仏は間も無く修復され、
再再度復活を遂げる


明治に入ると上野公園開設に伴い1873年に
大仏殿が撤去


そして、1923年に発生した
「関東大震災」で、頭部が落下し面部分が
外れ
てしまった・・・その後、第二次世界大戦に伴う金属供出令により


頭が無い状態の大仏は、供出され消えて無くなってしまった・・・



しかし、関東大震災で外れた
「面」部分を体とは別に、寛永寺で保管していたため
顔部分だけは、とかされることを逃れ、1972年この地にレリーフのような形で

顔だけの大仏が誕生したのだ



簡単に説明したかったんだけど

このお顔の理由を説明するのって、そう簡単には行かないな〜


そうそう、大仏と同じ敷地内にある「パゴダ(仏塔)」

こちらは1967年に「上野観光連盟」が名勝の一つにと、建立したものだ

最初から観光目的で作られた上野ならではのパゴタ


内部には薬師三尊がいらっしゃいます

ほこりをかぶっているが、ふくよかで綺麗な三尊像が奉納されている


「踏んだり蹴ったり」と言わんばかりの過去を持つ大仏さん

新聞にも取り上げられたりしている



度重なる不運に見舞われ




まさに悲劇の大仏だが





「転んでも、タダでは起きない」



それが「上野大仏」である




コレ以上、落ちることのない上野大仏

合格大仏として

今や受験生に絶大な支持を受けているのだ



そして、隣には・・・

めちゃくちゃ
シュールな光景が広がっている


正直、
かなりパンチのある絵馬軍

ここは異空間への窓口のようだ


それに、最近の若い人の中には、絵馬の書き方を知らない人も多いらしく・・・

こちらは
寄せ書き風

修学旅行の思い出かなぁ (^_^;)?



ましてや、外国人の訪問が多い上野ならではの・・・

何書いてるんだか、さっぱり解らない文字もある
?(゜_。)?
アンダスタ〜ン

誰か書き方教えてやれよ・・・www




とにかく、話題に事欠かない上野で

壁に埋め込まれた不思議な大仏

【 上野大仏 】

博物館で、仏像展を見た後は、是非ここにも足を運んでもらい


たまには
カウンターパンチを、くらってみるのも良いだろう

情報
駐車場  無し(上野周辺のパーキング利用)
拝観料  無し
その他  拝観時間16:00までですが、15時半ぐらいに閉まる時もある
      また、平日は施錠してある時が多いです

2012.01.10
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