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クロスケ 生誕 40周年 記念更新

雨の日も、風の日も、
大仏はそこで待っている。



「 不思議な閻魔堂 常楽院の謎 」


愛知県  西尾市






愛知県の三河湾岸を走る
「国道247号線」を走っていると


不思議なお堂が目にとまる


このお堂、業界では
「意味不明で、有名なお堂」


↓ ほら ↓

こんな風に道端にポツンと「閻魔堂」が有るんだよ

意味が解らないでしょ ?(゜_。)?


このお堂のことは、多くの人がHPにレポートを記載している


珍寺大道場
小嶋独観さんは「浄福寺」の所で紹介されている
http://www41.tok2.com/home/kanihei5/jyoufukuji.html


動物園、B級スポット
「荒川さん」の所でも紹介され
http://www.arakawas.sakura.ne.jp/backn012/jofukuji/jofukuji.html


日本すきま漫遊記
「へりおす」さんの所でも、有る程度詳しく紹介されている
http://www.sukima.com/23_chitawan01_02/13kariyado.html


私も10年ほど前に、1度訪ねている
http://f39.aaa.livedoor.jp/~ookita/2000-114jyourakuinnennma.htm
(昔のHPなので、BGMがあるから、音量注意してね)



それ以外にも検索で
「常楽院 閻魔」と入力すればワンサカ出てくる

『 摩訶不思議スポット 』
なのだ



ただ、どぅ〜しても


私の中で
「煮え切らない何か」が、ここにはあった




結局、そのモヤモヤ・ストレスを解消するために
もう一度、現地を訪れて調査してみることにした




さて現地について、改めて建物に目を向けてみると・・・




入口を守る「2体の鬼」

なんとも、完成度の低い像

素人仕事のような出来栄えだ


だ が !


お堂を覗くと


大迫力の閻魔様が鎮座しているのだ



コンクリ仏が
大好きな「愛知県」らしいと言えば、それまでなのだが・・・



どう考えても、この3体の
完成度の違いが納得できない

「閻魔のクオリティーを引き立てるためにワザとやっているのか?」

そんな風に思えるほど、違いがあるのだ



それに、閻魔堂は寺院の境内に有る場合がほとんどで
閻魔堂だけがポツンと、道端に有る光景など、ここ以外
見たことが無い
(全国探せば有るかもしれないけど、わたしゃ知らん)



堂内部には、名番が掲げられている

『 常楽院 』


これは、
単独の寺院なのか?

元々は大きな寺院があり、訳あって
閻魔堂だけ残ったのか?

閻魔堂を皮切りに、大きな寺院を作る予定が
ここだけで予算が尽きたのか?


予想しえるネタはたくさん出てくるのだが・・・



こんなの有り

?(゜_。)?



色々調べていくとこの閻魔に関係した
「澤常吉」「後藤鍬五郎」
という2人の人物の名前が上がってきた。(へりおすさんのHP情報)


お堂内には、
「記念 無量大壽佛」と書かれた書も掲げられ

左側には
当時建立に携わった人物の名前が記載されている
(右側は像のスペック)

そして
「建立発起人廿九代目 澤常吉」とある





この閻魔像の発起人が
「澤常吉」であることは間違いない。



また、この場所から5分弱の所に有る
「真赤な大仏」で有名な「浄福寺」
があり、その
大仏を建立した世話人こそ「澤常吉」である。
(独観さんHP情報)


こちらが、
浄福寺の『赤い大仏』(大仏と書いて「おおぼとけ」と読む)

そして、この大仏を建設した人物が
「後藤鍬五郎」なのである


「後藤鍬五郎」に関しては独観さんが詳しく調べられているのでそちらを見た方が早い
珍寺大道場 〜名古屋コンクリ造形師列伝〜



ただ、「後藤鍬五郎」という名前は、後にも先にも閻魔堂からは一切出てこない

「澤、加藤、倉地、岩瀬、倉内」という名字の方のみ


ただ、この文章は非常によく書けていて
建立は
「昭和4年4月」としっかり記載がある

堂内に安置されているのは閻魔像だけでなく

端の方に、
木製の地蔵も2体ほど安置されている


実は、この木造地蔵も
完成度があまり高くない


もしかすると、入口に有る2体の鬼像の完成度に近いかもしれない

そうなると、閻魔像とは別に、
後から鬼や地蔵を素人が作って建立した可能性も考えられる

想像の域でしかないが・・・結局何も分からずじまい


それどころか、ちょっと離れれると、お堂自体に気になる所がある



この建物自体が、まず
おかしい

道路側から、閻魔堂の奥行きは
「1間(1m80cm)
建物全体の奥行きは
「3間(3m60cm)

建物奥行きが閻魔堂よりはるかに長いのだ

閻魔堂の後ろには、広いスペースがあることになる



しかし、そこへの入口は1枚の、味気ない勝手口ドアだけで
当然施錠されている



そもそも、この建物は昭和4年の物では無い


外観はどう見ても昭和40年代の仕様だ



そして、敷地の脇に有る
石仏群も気になる

特に一つだけ
背が高い「石塔」があるのだが

お寺でもないこの場所に有る意味が、まったく解らないのだ。




結局、何を調べても、何も解らずじまい




そうなれば、得意の聞き込み調査だ 
(・∀・)b




聞きこみと言っても、通行人と近所の方に聞いただけだけどね (^_^;)


ここでの聞込みで解ったことは・・・


周辺の人も『コレがなんだかよくわかっていない』
たまに管理をしているおじいさんが
『掃除に来たりする』


その程度だった


1時間ほど調査を行ったが、結局
通行人も2人だけという感じで
聞きたくても人もいない状態なので
「浄福寺」へ行ってみることにした。


浄福寺へは5分もかからない


浄福寺は、国道からも
立派な大仏がよく見える寺

ここで、浄福寺の「奥様」に逢うことができ
「閻魔堂」に関することを聞くと、とんでもない話が出てきた



『 閻魔堂を管理している人なら、もう少ししたら、ここに来るよ 』


?マジ? 
(◎o◎) ?マジ?


タイミングのよすぎる状況に唖然




そして、待つこと、10分



キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ !!!!!

こちらが、閻魔堂を管理されている方(左)



ちょうど、この日は「浄福寺」に用事があり、やってきたとのこと



閻魔堂について、色々と聞きたいことがあり
その為に
「千葉から来た」ことを伝えると・・・



たいそう、ビックリされていましたが


閻魔像にまつわる話を、色々としてくれた

地面に
閻魔堂の間取りを書きながら
熱心に閻魔を語る図


お名前は伏せますが、こちらの方は閻魔像を
建立した「澤常吉」さんの
にあたる方でした



こんな所にしゃがみ込んで、約2時間

まさに「大仏ハンター」
打ってつけの場所だ







と、言うことで・・・・


『常楽院』の謎が解けた


謎・其の1

この閻魔堂は何なのか?


答 え

「澤常吉」の趣味


澤常吉さんは、とても
「物好きいたずら好き」だったらしく、浄福寺の大仏建立の世話役を
やっていた時に、コンクリートで作る大仏を見て
自分でもつくれそうな気がしてあの場所に
閻魔像と鬼のコンクリ像を作って
大仏を参拝に行く人を、驚かせようとしたらしい・・・


なんと、あの閻魔像は・・・いたずら好きが講じた、趣味の一環だった!



名前も自分の1文字と、楽しい場所と言う意味で
『常楽院』


「澤常吉」という人物は
かなり奇抜な人だったようだ



そんな理由から、忽然と出来上がった
『閻魔堂』

ちなみに、建物はお堂が、
伊勢湾台風で倒壊してしまい
一時的に閻魔像は露座になっていたが、昭和40年位に現在管理している
甥の方が、哀れに思い
倉庫兼用で立て直したとのこと


後ろの部分は
「農機具倉庫」になっている



倒壊時に閻魔像の一部が破損し、現在もそのままになっている

頭部右上に出ているこの部分が、当時の破損部分


この部分を調べると、骨の針金に麻紐を撒きつけ、モルタルが上塗りされている


入口右側の
鬼の角その時に折れたらしい

ただ、修復の際に・・・あまり
角が立つのも何なので・・・

耳のように下げて直しちゃったとのこと
(直したのは、現在管理をしている甥の方)



できた当時は、こんな角だったそうです

確かに左側に立つ赤鬼とのバランスも、これならOKだ



謎・其の2

閻魔像と鬼の完成度の違い
(この場所を訪れた、誰もが思う1番の疑問)

答 え

閻魔像は「後藤鍬五郎」が
手直しをしてくれた





浄福寺の大仏を完成させた「後藤鍬五郎」は、翌年昭和4年に世話役でもある
「澤常吉」が、大仏の手前に閻魔堂を完成させたと聞いて見に来たらしいが
その完成度の低さに
「素人が見よう見まねで作ったのはスゴイが、いくらなんでも
コレはあんまりだ・・・」と、自分の大仏の手前に有る閻魔像の完成度に落胆し


澤が、大仏の世話役ということも有って、せめて閻魔像だけでも
「手直しさせてくれ」と、「澤常吉」が造った閻魔像の上から
左官で仕上げを施したと言うことだった。



当時「澤常吉」は、
木で仏像を彫る趣味を持っていたので、有る程度基本は
わかっていたようだが、
当時の新素材コンクリートまでは、扱えなかったようだ。

閻魔堂の奥に並ぶ地蔵は、「澤常吉」が彫ったもだった

この迫力ある閻魔像だが・・・

完成当時は、門番をしている
鬼と同じようなレベルだった


並べてみると

『髭』など、デザイン極めて似ている


鬼は
『目』に「陶器」がはめられている

コレが、余計に不気味な違和感をかもしだしているのだが


目を比べると、上に盛っている厚さが読みとれる

閻魔像の瞳の上に塗った厚さ(約1、5cm)こそが
「後藤鍬五郎」が仕上げた分なのだ


「後藤鍬五郎」の傑作と言える
「浄福寺の大仏」

衣類のシワなど非常に巧妙

その特徴が、閻魔像にも見てとれる

筆や髭部分も手の込んだ仕上げもそうだが・・・

背中側に至っても、凝った作りになっている

表に比べると凹凸は少ないが
見えない所まで決して手を抜かない所が職人芸


ちなみに、お堂内部の撮影は管理者の方と
打合わせ後に、許可を得て撮影しています

(一部床が腐敗しており、抜けているので参拝はお堂の前でお願いしたいとのこと)



手前に有る硯(スズリ)も、「澤常吉」の作品がベース

全てコンクリートで、仕上げられている

大きな
「墨」もコンクリ

『縁羅(エンラ)とあるが、本来は『閻羅』と書き【閻魔】を意味する

『閻魔用墨』と言う意味だ


筆にも刻まれているが、5cmほどの円柱筆に、この文字を刻むとは・・・

「後藤鍬五郎」の卓越された技がうかがえる


ほこりをかぶっているが、見た所削った場所も同じ色なので
有る程度固まった所でコテなどを押しつけて
文字を刻んだと思われる



謎・其の3

隣に有る石塔などは、一体何か?

答 え

石塔は「澤常吉」の墓



実は、閻魔堂の隣にある
謎の石塔だが、コレは発起人でもあり
閻魔堂を作っちゃった
お騒がせ人「澤常吉」お墓で有った。


ただし、ここに眠ってはいないようだ?


実は10年以上前、この一角は笹藪になっており、この地を整地するまで
石塔があったことを、誰も知らなかったらしい。


笹藪から発見された石塔

他にも地蔵石仏などが出てきた


「澤常吉」は、自分が亡くなったら、閻魔堂の隣に眠りたいと
こっそり
自分の墓を閻魔堂隣に建てていたようだ


しかし!ここで大誤算



あまりにも、
こっそり造ったので、親族も誰もそれを知らず
亡くなった後、普通の墓に納骨されたらしい



数年前に周囲の藪を整地した時、この石塔が出て来て

驚いたそうだ

石塔には『大居士』と刻まれていた


「澤 常吉」



歴史に名を残す仏師は数多くいるが、自分の趣味でとんでもない物を
造ってしまった、素人仏師の作品が、平成の世になっても通行人の目を
驚かせていることに、なんだか嬉しくなってしまう


昭和の初めにとんでもない「趣味」を持った男がいたもんだ




何となく、俺と同じ臭いがする気がする

σ(^-^;)



「澤 常吉」の
目論見通り・・・

いまでも、このお堂を何気なく覗いた連中は、驚かされるのでった



最後に


夜、もう一度訪れてみた


(゚口゚;) アワアワアワアワ・・・



夜は、やめた方がいいっす・・・

情報
駐車場  無し(2台位寄せて止められる)
拝観料  無し
その他  個人所有の土地に有ります。参拝は節度を持って


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