トップページに戻る           大仏訪問記へ戻る

雨の日も、風の日も、
大仏はそこで待っている。

「 犬山成田山 新生大仏 」訪問    愛知県  犬山市


愛知県 犬山市



愛知県
と聞けば『大仏ジャンキー』なら
飛び上がらんばかりの
大仏エリア



そんな愛知県の犬山市には
「成田山」がある



「成田山」は千葉県成田市に有る大きなお寺「成田山新勝寺」が
有名だが
全国に別院がたくさんある。

地元千葉県民からすると、
旅先で成田山の名前を見ると「ホッ」とするのだ(*^-^*)



そして、愛知県犬山市に有る大きなお寺
「犬山成田山」がこちら

山門からして、ものすごい立派なお寺だなぁ〜


「山」というだけあって、けっこうな高低差があるのも特徴(・∀・)b



さっそく
大石段を登って、山門をくぐると・・・

タハハ・・・(^_^;)

本堂は、けっこう上の方です




しか〜〜〜し (>w< )


本堂へ続く直登石段の
右手に注目!


そこには、斜面を利用した
「五大明王」「八大童子」

しかも、この像は「コンクリ像」


そう! この像こそ


愛知のコンクリと言えば
「浅野祥雲」さんっすね


建立は「昭和31年10月」とある

作者名は、特に記載されていない

もっとも、業界では有名な話で、ここに浅野コンクリ像があると言うのも
犬山成田山を訪れてみたかった理由の一つだ


多くの浅野コンクリ像が並ぶ

通称『コンクリ像』と言われる作品群


実際には
「コンクリート」ではなく「モルタル」と呼ばれる
砂利が入っていないセメント材が主材のようだ

コンクリート=セメント+水+砂+砂利  4種類の材料を混ぜたもの

モルタル=セメント+水+砂 3種類の材料を混ぜたもの


型枠に流し込むならコンクリでもOKだが、このようなコテ仕上げなら「モルタル」となる

すなわち「左官芸術」の最上級と言った感じだ


さて、私の目指す大仏は・・・

この上に有るっぽい


急勾配を上る前にお寺の「ご縁起」などに目を通し・・・心臓を落ち着かせよう

開創が昭和28年とあるから

けっこう新しいお寺なんですね


では・・・

昇りますか ( ̄o ̄;)ボソッ


けっこうな長さの石段を、エッチラ・・・オッチラ・・・

長い石段は、ゆっくりと同じペースで昇る方が疲れないんだ


そんな訳で・・・本堂に到着

それなりに疲れるのだが・・・

振り向いた先は 絶 景

コレは良い !

よく見ると、駐車場近くの屋根に
「剣」がある

それも、
超デカイ剣


なんも、かんも・・・スケールがデカイ感じ

賽銭箱もデカイ!


さすが!成田山!



何はともあれ、ここへきたらまずは参拝

(。-人-。) ナムナム〜




だだし・・・本堂付近には、大仏さんはいらっしゃらなかった

キョロキョロ (゚_゚)(。_。)(゚_゚)(。_。) 居ない?


隣に有る「総受付」で、大仏様の場所を伺うと



本堂の裏手にいらっしゃると言うことなので、裏へ進んでみよう

現代風の渡り廊下をくぐって進む


それに、
重要なことも書かれている

「成田山のご本尊は不動明王です」


千葉の人間にして見れば、当たり前のことなのだが・・・

こういった注意書きも、分院ならではだろうか?




さて、本堂裏手に回ってみると・・・

ここまで、車でこれたのね・・・(^_^;)

もっとも、山門から石段を登ってこそ、参拝のありがたみがあるのだが・・・



そんな、道路の先の方に目を向けると・・・

お〜〜!【 鎮座 】


いらっしゃいました〜♪


意外といっては失礼だが、立派な大仏さんだ


「 新生大仏 」

名前が「新生」なので、新しい像かと思っていたが、
昭和33年奉安
犬山成田山ができてから5年後に鎮座したことになる


正面に立つと、
鋳物独特の風合いが良い

座っている場所もちょっと高くなっているから非常に目立つ


石段を登ってみると、像の周りに池があって台座までは近寄れないが・・・

人と比べると解るが、大きくて立派な像だ


ただ、
『新生大仏』という名前がちょっと気になったので
後日調べてみたら、意外な過去があることが解った。


犬山成田山のHPによると
(一部抜粋・HPへのリンクは最後に有り↓)


一宮市の木村小左衛門によって鋳造された大仏で、
名古屋鉄道(株)に寄贈されたのち
昭和30年に奉納、戦時中
胴体を失った像を元に造られたので「新生大仏」と名付けられた



文中に出てくる
「木村小左衛門」という人物も調べていくと・・・

日中戦争で、息子さんを無くした一宮市の鋳造会社の社長「木村小左衛門」によって
息子さんの戦死を悼み鋳造された大仏で、当初は
「九品地大仏」と呼ばれ
「一宮の九品地公園」に安置されていた。

と、言うことだった



しかし、第二次世界大戦の時の金属回収で大仏は残念ながら供出されてしまったが
戦後になり
なぜか?「鶴舞公園」から頭部が発見され、昭和30年に犬山成田山へ
奉納され後に
体を作り直したことから「新生大仏」と呼ばれるようになったようだ。



戦争の犠牲者を悼む像
戦争で溶かされてしまうとは・・・



戦争が無ければ、日本中にどれだけの大仏が残っていたことか・・



と、言うか・・・
戦前の日本は大仏大国だな〜



そんな、激動の運命を乗り越え

不思議な再生の歴史を持つ大仏

『 新生大仏 』

コレからも平和で有るように、願おう

(。-人-。)
 ナムナムナム



激動の日本を見てきた大仏さん

この
「りりしいお顔」が見つめる先は・・・


とっても平和な絶景だった

木曽川と犬山城が見える最高の景色



さて、大仏様に別れを告げ、本堂の方へ戻ると・・・


本堂の
真裏の斜面に何かあることに気がついた

この石段・・・
引き寄せる何かを感じる!


無意識に向きを変え、石段を昇ると


そこには!

でた〜〜〜〜ヽ(`0´)ノ

またも
『浅野コンクリ像群 』



中心の一番高い所にいらっしゃるお方は・・・

『 不動明王 』


そして、周りを囲む像は・・・

『 三十六童子 』
細かな解説が書かれている所が、とっても親切。

さすが成田山! (・∀・)b


サイズは、1mほどの像だが・・・

いかにも、浅野祥雲作と言った感じ


昭和30年代の作品らしく

当時の成田山が、今で言う「テーマパーク」の要素を十分に持っていたんだろう


コンクリも当時は、最新素材であった

仏像界の未来を背負う新素材コンクリ像は、多くの参拝者を見まもっていた。


犬山成田山は、最近「浅野祥雲像」がたくさん見られる場所
として有名になってきた



でも、やっぱし私は『 大仏 』なんだよな〜

もっとも『大仏ハンター』ですから σ(^-^;)

情報
駐車場  有り
拝観料  無し
その他  
オフィシャル ホームページ http://www.inuyama-naritasan.or.jp/


トップページに戻る        大仏訪問記へ戻る

inserted by FC2 system