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雨の日も、風の日も、
大仏はそこで待っている。

「 徳常院の大仏 」訪問     神奈川県 小田原市

神奈川県 小田原



神奈川県西部にある都市で歴史も古く情緒ある街


先日そんな小田原に
「街かど博物館」なる物があると聞いて行ってみた


あれ? 大仏訪問記じゃないの?と、思われるかもしれませんが
大仏に会う
「きっかけ」を簡単に説明します


要するに
序章っす (・∀・)b


小田原街かど博物館は、実際に小田原で商売を営む老舗店舗が
営業しながら、そのまま博物館として公開されている物だった


こちらは「薬屋」さん

店内には、木製の薬棚や
ヤゲンなど、今にも「杉田玄白」が出てきそうな雰囲気

こっちは、「カツオブシ屋」さん

お店の前に来ただけで、おいしそうな香りが漂っていた

このお店の
おばあちゃんは小田原の主みたいな感じでとっても面白い人だった



こんな感じで小田原を知り尽くした店舗がいくつも博物館として紹介されているのだ

「小田原街かど博物館」の詳細はこちら↓
http://www.city.odawara.kanagawa.jp/field/industry/commerce/machihaku-t.html



そんな
小田原街かど博物館は、実際に店舗の方々と雑談ができ
他では聞けない小田原の話が聞けることが面白く貴重である。



さて、雑談のさなか、私たち夫婦は
普段は大仏を回っている
1軒の博物館で話をしていると、店の方からこんな話が出た。


「だったら、小田原にも大仏があるので見ていってください」




だ・・・・大仏 (◎o◎)!




小田原に、大仏があるのか?




聞いてないよ〜 ヽ(`0´)ノ

(そりゃ〜誰も言わないような話だけど)





そんなわけで、紹介いただいた
大仏があると言うお寺に早速向うことにした



ここからは、いつもの大仏訪問記ね (・∀・)b




それにしても、
小田原に大仏があると言うのは、聞いたことが無かった

向かった先は
「徳常院」と言うお寺


本堂には立派な看板もかかっている

本堂では法事が行われていたので、外からの参拝

(。-人-。) ナムナム おじゃまします


それにしても・・・見事な
「額受」だな〜

名板を抑える
「額受」がシシになっている


そういえば・・・さっきお邪魔した
「街かど博物館の薬屋さん」

ここの
看板にも・・・


同じような額受があったなぁ〜

なんと立派な額受文化でしょう。(気になったので撮影しておいてよかった)

いや〜こういう街って良いすよね


あ!そうそう・・・大仏だった
 

~(=^‥^A アセアセ・・・



大仏は、本堂脇のR階段を上った上にあるようだ

お洒落だなぁ〜!

階段を上がると、右手にガラス張りの部屋があり

中には、
大きな仏像が安置されていた

延命地蔵尊

頭上の名板には
「昭和27年8月」とある

戦後にできた地蔵尊らしい


ガラス越しに熱心に覗いていると、お寺の方が窓を開けてくれて


御開帳〜 ♪

うぉぉぉ〜〜〜デカシ (・∀・)

すごく立派な地蔵菩薩像


色は艶消しの黒、見事なまでに風格ある地蔵菩薩じゃないか!


円光背(背中)には、破損した痕が残るが綺麗な像

右手に握る
「錫杖」は、新たに作り直したようだ


暑い日差しのなか、涼しげな笑みを浮かべているのは・・・

エアコンがきいてるからか?

そんなことは無いか(^_^;)


参拝と訪問を終え帰り際に脇を見ると、入口(1階)に
解説版があった

向かう時は、一心不だったので気がつかなかったが


『徳常院の大仏』

しっかりと、
大仏と呼ばれているんですね〜(*^-^*)






ところが!







この解説には、
とんでもないことが書かれていた





なに〜〜〜〜〜 (◎o◎)

芦ノ湖畔の賽の河原にあった像


1713年って言ったら、
約300年前じゃないか!



こりゃすごい像だぞ・・・

エアコンとか言っちゃって、すみませんでした m(_ _)m







そういえば、さっき・・・

像の足元に不思議な絵があった!



速攻で、お堂に戻り見直すと

あの絵だ!


芦ノ湖畔と思われる場所

描かれている場所は
『賽の河原』


そして・・・


この像が、小田原にあるのか!



解説を詳しく読むと、明治の廃仏毀釈でこの地蔵尊は、古物商の手によって東京に売られてしまったが
運送中に小田原から船に積もうとしたが、まったく動かすことができなくなってしまい、それを聞いた
小田原の方々が賽銭を募り、有志が金を出し買い取って、ここ徳常院に建立したらしい。



小田原の人、エライ (>w< )!




下手に東京なんかにあったら
、戦争の金属回収でとっくに溶かされていたはず



そんでもって・・・この解説版には

もっと、とんでもないことが書かれていた



賽の河原に安置されていた時の写真が・・・

アメリカで発見された?


なんと〜〜〜ヽ(`0´)ノ




江戸時代の芦ノ湖の写真が、
アメリカに有ったとですか〜 (◎o◎)








江戸末期の日本の写真・・・






「江戸時代の写真があるわけ無いじゃん!」
と思う方もいるかもしれないが





あるんです ( ̄^ ̄)キッパリ






写真の発明は、1827年にフランス人・
エニプス(Niepce)によってである
その頃の日本は、文政10年。江戸幕府の真っただ中
飢饉で有名な天保の前の年号だ。



そして、幕末から明治までの日本に報道写真家としてアジアを転々とした
『 ベアト 』が来日している。彼は日本各地の風景、習慣を精力的に撮影し
当時のいくつもの
貴重な大仏の写真も収めている。


『 F.ベアト 』

彼なら、ありえる





そうなると、次は
『その写真を見てみたい』と思うのは、誰だって同じだろう




そうとなれば、古い写真のコレクションには定評がある
「長崎大学付属図書館」
「幕末・明治期日本古写真データ・ベース」に頼るしかない




このデータベースは、私も以前から利用しているのだが・・・



約6,000点を収集した国内最大級の古写真コレクションから探すのは至難の業と思いきや・・・



検索機能がしっかりとしていて・・・
予想外に簡単に見つけることができた




その画像とは、これだ↓
長崎大学付属図書館 幕末・明治期日本古写真データ・ベース・芦ノ湖畔の延命地蔵画像へリンク





スゴイ!(>w< )
撮影した
ベアトもスゴイけど、それを保管管理している長崎大学付属図書館もスゴイ!







また、データーベースには
廃仏毀釈直後の延命地蔵尊の画像も有った
長崎大学付属図書館 幕末・明治期日本古写真データ・ベース・芦ノ湖畔の延命地蔵尊(廃仏毀釈後)へのリンク

画像を見ると、小田原にある地蔵尊の光背の破損部分も同じだ

300年もの間、日本を見てきた地蔵尊


小田原と言えば、
箱根駅伝の往路最終ランナーのタスキをつなぐ地点



この徳常院大仏は、今いる小田原から実家のあった箱根に向かう若きランナーの
無事をさぞかし願っているのだろう


小田原で人との出会いが、思わぬ大仏との出会いになった訪問だった


小田原 スッゲ〜 ヽ(`0´)ノ


 
情報
最寄駅  小田原駅
駐車場  有り(境内に数台置けるスペース有り)
拝観料  無料

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