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百科図鑑 大仏訪問記
【 大仏巡礼 】
2007年11月 栃木巡礼編 8
「 長蓮寺 半跏像弁財天 」訪問 栃木県 真岡市
ツアー2日目の一行は、益子から宇都宮に向かう途中「真岡(もおか)」に立ち寄った。
ここには、日本一の半跏像の弁財天がいると聞いてやってきたのだ。
さすがの清原人さんも、ここの弁財天は知らなかったらしく、大仏ジャンキーの
ネットワークには、驚いていたが、最近は全国各地から私の元に大仏情報が
集まりつつある状況だったりして・・・(^_^;)
さて、弁財天といえば七福神の中のいわゆる「弁天様」
おっさん(爺さん)ばかりの七福神の中で、紅一点の楽器を持った女神なのだが
半跏像(ハンカゾウ)というのは、腰掛けた状態で片足を下に降ろした形の像をいう。
何はともあれ、街中にある長蓮寺へとやってきた。
超蓮寺は、非常に細い道の先にあった
山門には、早々に解りやすい看板が『これでもか〜!』とあるじゃないですか!
真岡弁財天 日本最大の半跏像
お〜〜! 最近はこう言った解りやすい看板を出してくれるようになったので
私達のような遠方訪問者には便利だが、出来ればもう少し遠くから案内がほしいな〜。
さて、案内の看板もあることだし、お言葉に甘えて早速境内へ・・・
境内には、弁財天についての詳しい解説もあるのだが・・・
何となく・・・気になることが・・・・( ̄o ̄;)ボソッ
ツッコミ所、満載であるが、気になる所を、簡単に説明しますね
(ピンクの文字は、クロスケの毎度毎度のボヤキです)
1667年に江戸大衆の発起により、高僧の大仏師がその彫像を始め、実に33年間の長きを費やし、
1700年に大願成就し、浅草寺に奉納されました。
って、ことは・・・元々は東京の像だったんだ・・・( ̄o ̄;)ボソッ
当時は浅草寺に安置されていましたが、ほどなく浅草の宝珠院に移され、以来、多くの人々がその参
詣に訪れ、1702年には、赤穂浪士の大石内蔵助以下四十七士も主君の仇を討つにあたり、その
成功を御本尊に祈願したと言われています。
あれ? 栃木で赤穂浪士の話を聞くとは、おもわなんだ・・・( ̄o ̄;)ボソッ
時の流れの中で、1762年、いかだに乗って浅草から隅田川を下り、利根川、鬼怒川を経て、江戸庶民
が思いを寄せてきた弁財天は、長蓮寺を安住の地と定めたのです。
オイオイ・・・いかだでも、戦艦でもいいけど、移動の乗物より、
なんで東京からここへ移すことになったのか
が、重要とちゃうん?
その部分を『時の流れの中で』って、
そこが一番肝心なんじゃないのか?
う〜〜〜ん・・・(-_-;)
文化財にありがちな
重要な部分にモザイクが、かかっている話だが・・・
弁才天さんが、泳いできた・・
と、いう話じゃなくって良かった。
ここで、クロスケお得意の5分間で考えた勝手な妄想話ですが・・・
1762年と言うと、前年の1761年に、一説には『志村ケンのバカ殿様』のモデルとも言われる
「第九代将軍 徳川家重」が亡くなった年。家重は生まれつき小児麻痺と思われる言語障害を
もちながらも、反面、将棋の本など執筆する知的な頭脳も持ち合わせた、結構イケメンの
引きこもりタイプの将軍だったらしい。
だが・・・文武には、全く興味が無く、酒と女遊びに、明け暮れた不思議な将軍だったようだ。
そんな、九代将軍「家重」が、江戸中を引っ掻き回したあげくなくなった年の翌年に
ここに弁財天は引越ししてきている。もちろん、勝手な妄想話なので、関連性の根拠は
無いが、調べてみると1760年ごろに移動や移転をした江戸の仏像や文化財などが
数点あるのも、奇妙な事実。
その辺りも、なんらかの影響が、当時の江戸の町にあったかもしれない。
250年も前の話だから・・・まあ〜そういうことにしておこう。
さて、話は長蓮寺に戻って・・・
境内には、新しい慈母観音像もあり、現在でも寺の繁栄が見受けられる。
ところが・・・・あれ ( ̄o ̄;)?
よく見ると、境内には別の方向から、ちゃんとした参道がつながっていた。
アリャリャ・・・我々はどうも裏口?から来ちゃったみたいだ・・(-_-;)
もっとも、私のような変り種参拝者は、表から来るより
脇からお邪魔した方が正論だったりして・・・
さて、取り合えす・・・本堂へお参り&ご挨拶と思いきや・・・
おりょ・・(◎o◎)
本堂・・・どれ?
雰囲気で右側が本堂らしく、法要をおこなっていたので、軽く外から拝むだけにして、
とりあえず・・・真ん中のあやしい建物へ行ってみることに・・・
でも何でここに・・・管制塔があるん? ( ̄o ̄;)ボソッ
それにしても・・なんじゃこの建物は?
これが、弁天堂に間違いなさそうだが・・・この小部屋、建物の中心からもズレてるし・・・
てっぺんの小部屋には、見た感じ、何もなさそうだし・・・?
管制塔でもなさそうだし・・・
かなり、古そうな建物なので、今ここで、考えても答えが出ないようなことなので
答えが出なけりゃ考えても、悩みになるだけから、気にしないで先に進もう (^_^;)
とりあえず、1階のそれらしき場所へ進むと・・・
入口の戸に、何か書かれている・・・・
開放厳禁とか、書いてあるのかな?と思いきや・・・
よく見ると・・・
なんと〜〜 ヽ(`0´)ノ
『自動ドア』では、ないか!
この建物。古い木造建物に見えて・・・
バリアフリー&オール電化
侮れない・・・( ̄o ̄;)ボソッ
という事で・・・お言葉に甘えて
ポチットな〜〜と、ボタンを押してみると・・・
ウィ〜〜〜〜ンと、ガラス戸が開き・・・
ド〜〜〜〜ン ヽ(`0´)ノ
予想外に、豪華絢爛な弁財天の登場であった!
こりゃ、すごい仏像だわ・・・( ̄o ̄;)ボソッ
『高さ3.45mの日本一』という、フレーズに「大きさ」だけが頭にあったが、
実際の弁財天は
そりゃ〜立派な像でした。
ただし!
弁財天って・・・・こんな↓女神風のイメージだったんですが・・・・(^_^;)
こちらに、いらっしゃる弁財天は・・・
こ・・・こんにちは〜〜~(=^‥^A アセアセ・・・
実際に、こんなおばさん近所におるけどね・・・( ̄o ̄;)ボソッ
そんで、もっと度肝を抜かれたのが・・・
頭の上の・・・
あんた!誰やねん ヽ(`0´)ノ
マジで、志村けんが、乗ってるんかと思った・・・( ̄o ̄;)ボソッ
こりゃ、私の妄想も、あながち・・・違ってないかも・・・
手前の台で見えづらいが、足は左足を下ろした、半跏踏下(ハンカフミサゲ)になっている。
お堂は外見より、それほど広くないのだが・・・
参拝者は、小さな堂の中を、振り回されっぱなしです・・・・
なぜなら・・・・
お堂の中は、乗車率100%、満員御礼状態!
まず、右手にいらっしゃいますのが・・・・
お勤め先の七福では、同僚の『毘沙門天』様
ヒゲとか眉毛とかリアル!
達磨さんのような、お顔・・・・「金」のプロテクターをお召しです。
続きまして、左手にいらっしゃいますのが・・・
やはり、お仕事で御一緒されている『大黒天』様
どこかであったような、顔つきですが・・
ニヤ・・・と笑う、超福耳のゴールデンオジサンなのだ!
手前には・・・・
左右に分かれた、『15童子』の皆様〜〜(=゜-゜)ノ
そろいの金の衣装を着た、「女子十二楽坊」も真っ青の『ゴールデン・スクールメッツ』状態
お手持ちの持物(ジモツ)も、全て、そろっております
さらに・・・表情が・・・
皆、微妙に違う・・・
確実に『ハンドメイド』な皆様・・・
それにしても・・・・
エクボとか眉毛とか・・・リアルすぎる。
チェーンソウもグラインダーも、無い時代に
これだけの仏像作ったら、そら33年もかかるわいな。
さて、通常我々が見かける「弁財天(弁天)」は、七福神の中の一人で、ビワを演奏する女性像だ。
今回も、もちろんそのつもりで訪問したので、最初違う寺に来てしまったかと、思ったぐらいだった。
その後、色々と調べていくうちに、弁財天は「2つの例」があるらしく、妙音弁才と宇賀弁財のように
呼ばれているらしい。お決まりの座って琵琶を演奏する姿も、鎌倉時代以降の作例で、それ以前
には、手が8本ある一面八臂(イチメンヤヒ)の姿が一般的だったようだ。
※↑東京大仏にある、一面八臂の弁財天↑
【一面八臂とは、面は顔 臂(ヒ)は手(腕) と、言う意味で、顔が1つで手が8本と言う意味】
大陸(中国・韓国)から伝わった弁財天は、毎度の日本独自の進化を遂げ「弁才」が「弁財」と
進化し、財を築く財宝の神となったようだ。元々インドでは水を司る河川の神だったらしく、今でも
「弁天堂」と言う形で湖や海岸に奉られることが多く、『銭洗い弁天』などはその集大成のようだ。
頭にある蛇の体をしたオッサン顔の像も鳥居が付いた冠らしく、弁財天の化身の姿らしい。
決して、「ドリフ大爆笑」に出演していた殿様では無く、日本オリジナル進化仏の結果らしい。
又、曼荼羅によると、十五童子は弁才天の手足となって働く役目もあるらしく、ここにはその
全ての童子像まであって、脇侍(両脇を固める像)にいったっては、毘沙門天と大黒点という
フルメタル・ジャケット(完全装備)の弁財天さんなのだ・・・・。
栃木県に入ってから、パンチの効いた像ばかりで、
大仏ジャンキーも大仏・ドランカーになりそうだ・・・
もちろん、『弁財天様』には・・・
『商売繁盛!商売繁盛!商売繁盛!』
と、拝みとおしてきたのだ。 (-""-) ナムナムナム・・・・
帰りがけに、本来の入口側に、回って見ると・・・・
ありゃ・・・結構立派なつくりだったのね (^_^;)
もちろん、山門の脇には、しっかりと案内板がありました。
こちらには、『日本一の半跏像弁天さま』と、書かれているが
なにが、『日本一』なのか・・・
そこが、重要だと思うのだけど・・・・
こちらも『言葉にモザイク』が、掛かっているお話のようでした (^◇^;)タハハ・・・
2007年11月 栃木巡礼編 9 「 餃子像 」訪問 |
情報 最寄駅 真岡鉄道 真岡駅&北真岡駅 駐車場 有り(無料) 拝観料 無し 所在地 栃木県真岡市荒町1037 その他 マップリンク http://maps.google.co.jp/maps?f=q&hl=ja&geocode=&time=&date=&ttype=&q=%E6%A0%83%E6%9C |