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百科図鑑 大仏訪問記

【 大仏巡礼 】


2007年11月 栃木巡礼編 1

「 西光寺 古河大仏 」訪問     茨城県 古河市



栃木県に向かう途中、茨城県の古河に立ち寄って、大仏を見ることにした。



そんな訳で、大仏があるという古河駅前に行ってみたのだが、
案の定大仏さんはどこにも見当たらない


情報と地図を頼りに「西光寺」と言う駅から程近い寺へ行って見ると・・・

なんと! ( ̄ロ ̄;)!!

メッチャクチャ解りやすい
「古河大佛の寺」と書かれた石塔が出てきた。


なんとも、親切じゃ〜ないですか (^◇^;)


寺の雰囲気は、駅前とは思えない閑静な街
建物も品のある雰囲気なのだが・・・・



ビジュアル的に・・・背景が・・・



さすが!駅前建立! ( ̄∀ ̄;)汗



そんなマンションを背負った「西光寺」の参道へと足を進めると・・・

あ!(◎_◎;)
山門の左側に・・・もう見えちゃった・・・(^_^;)


先の展開がわかってしまったが、とりあえず見なかったことにして山門を潜り、まずは本堂へ

何となく、真新しい雰囲気だ。


駅前再開発で、境内を整理したような新しい感じの寺


とりあえず、訪問&取材の前に、「まず合掌」

ナムナム (。-人-。) ナムナム

【千葉からやってきました変わり者でございます。  本日は、お邪魔をいたします・・・ナムナム】

ついでと言ってはなんですが・・

【商売繁盛!交通安全!家内安全!ワンダーjapanが売れますように!不老不死・・・】


お邪魔しますのお願いと、欲張りな祈願をしたら、まずは「縁起」が書かれた掲示板へ

建立は、1679年。300年以上前の徳川家綱将軍の江戸時代だ。

しかし、1944年
戦争の鉄不足で「銅鉄回収」にあってしまい、初代大仏は赤タスキを巻いて
戦地へと出陣されたのだ。(溶かして、鉄砲や大砲にされちゃったってことね。)


またもや・・・戦争か・・・戦争がなかったら、どれだけ貴重な大仏が日本に残ったか・・・


その後、1979年初代大仏建立からちょうど300年後、
現在の大仏が2代目となって再建されたのだ。

大仏の大きさは、2mほどか?台座全てを含めて4mほどの

小さくてかわいい大仏さん


しかも、けっこうな
「イケメン」なのだ!

与謝野晶子が見たら、高岡大仏よりイケメンというかもしれないな・・・。


雨だれが、なんだか号泣しているようにも見える寂しげな感じも受ける。


号泣のしている理由は
先代が戦争へ出兵させられた悔しさか・・・それとも・・・・・


背景の問題か・・・(T▽T)シクシクシク


大仏と高層マンションのコラボレーション・・・最近多いな・・・


そんな、巷の開発も地価高騰も不景気もどこ吹く風。
小さな古河大仏は今日も
『古河大仏の寺』に鎮座しているのであった


こちらの如来さんの特徴として、
まっすぐ前を見ている所かもしれない

大仏の見つめる先には・・・

エ? ( ̄ロ ̄;)


バスケットゴールがあったりして・・・?


この先、長い長〜〜〜い旅になる一行は、
古河大仏に別れを告げ次の訪問地へと向かうのであった。

振り向くと・・・


ヤッパリ、予想通りの構図が・・・・


大仏さん、見下ろされても・・・あんまり怒らないでね ( ̄。 ̄ )ボソ...


栃木巡礼編 2「 仏壇お宮のみわき 繁盛大仏 」へ
情報
最寄駅  東北線古河駅
駐車場  あり(無料)
拝観料  なし
所在地  茨城県古河市本町1
その他  
マップリンク  
http://maps.google.co.jp/maps?oe=UTF-8&hl=ja&q=&ie=UTF8&ll=36.195577,139.707545&spn=0.003281,0.003841&z=18&om=1




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